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TINY BALANCE * hiroshi watanabe blog

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"After 1000 Days" Sendai to Minamisanriku

TINY BALANCE presents
"after 1000 days" SENDAI to MINAMISANRIKU


text by HIROKI SATO a.k.a STILL BLUE
photo by HIROSHI WATANABE a.k.a KAITO



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永遠に続くものと思われた日常生活が突如、目の前から消えた。

住み慣れ親しんできた町並みは、一瞬の出来事により色を失い、
町を灰色の世界へと変えた。

“絆”、“がんばろう日本”。様々な言葉がマスメディアやネットから発信された1年目。

4度目の春を迎える今、そんな出来事は初めからなかったかのように、
日常生活の会話から震災の話題は移ろいで行く。

“被災地”という言葉はとても記号的で

“被災地”の話題自体がタブーで

“被災地”のイメージはとてもネガティブで

しかし自分が見てきた3年間の被災地は
美談と悲しみばかりが溢れている場所ではなかった。

“被災地”の日常には何があるのか? 

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それを伝える術を、僕はHiroshi Watanabe氏のファインダーに託す事にした。

コンタクトシートがあがってきたのは震災から、偶然にも1000日目の夜だった。

SENDAI to MINAMISANRIKU after 1000 days






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11月23日 午前11時。
宿泊先のホテルにてヒロシさんをピックアップ。
続いて郊外のショッピングモールにて小島夫妻と合流する。
このメンバーでは一度、2012年の夏に、
仙台市若林区荒浜から名取市閖までを訪ねた。
今回は一路、宮城県南三陸町志津川地区を目指す。


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現在、4車線化の工事が行われている三陸自動車道。
震災の年には被災地へと向かう
自衛隊車両や工事の大型車両、支援物資や瓦礫を運搬するトラック、
ボランティアを乗せた大型バスやワゴン車であふれ
いたるところで渋滞が起こっていた。

現在は穏やかな表情を取り戻し、快適なドライブが楽しめる。

車内での会話は家族の話、夫婦の話。
カメラマンの観点から仲の良い夫婦、家族ほど
雰囲気が似てくると語るヒロシさん。
会話の途中にも自然とシャッターがおりる。
ヒロシさんのファインダーは冬の青空で羽ばたく白鳥の群れを捉えていた。

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車は三陸自動車道から国道398号線へ。
南三陸町へと通じる生命線ともいうべき道路だ。

「びっくりするぐらいに綺麗になってる!」

小島さんが思わず声をあげる。
メディアの仕事をしている小島さんは震災の直後に
この国道を通り志津川へと入り、かわりはてた街の映像と情報を送り続けた。
志津川を訪れるのは、あの時以来なのだ。



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最初に訪れたのは南三陸町志津川地区にある復興仮設商店街 南三陸さんさん商店街。
被災地域でも最大規模の復興商店街であり南三陸町の表玄関ともなっている。
駐車場に車を止め、まずはモアイ像に。

しかしなぜ南三陸町になぜモアイが?

震災前から本物のモアイ像がある街と知られていた旧志津川町。
1991年にチリ地震津波の復興と友好の証、防災のシンボルとして、
チリから最初のモアイ像が町へと贈呈された。
しかし震災の大津波によりそのモアイ像も流出。
だが国境を越えた絆は絶えず、2013年5月25日にチリのイースター島から
また新しいモアイ像が志津川へとやってきたのだ。
震災以降、志津川高校の情報ビジネス科の3年生たちが「南三陸モアイ化計画」というテーマでモアイのキャラクターグッズなども販売しているので、そちらもチェックしてほしいところ。

http://minamisanriku-now.blogspot.jp/2013/02/blog-post_4.html


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そして商店街内を散策。写真屋さんの前には被災前の南三陸町の航空写真
が張り出されている。この場所も、あの場所も。今さらではあるが被害状況
の大きさに皆が言葉を失う。


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時間はお昼時をとうに過ぎたころ。
今日は「創菜旬魚はしもと」さんへ。
カウンター越しに忙しそうに手を動かしている
店主の及川満さんが笑顔で出迎えてくれる。

皆それぞれに南三陸名物「キラキラ丼」や旬の「カキフライ」などを注文。
先ほどとは違った意味で沈黙が訪れる。おいしい料理はそれだけで人を寡黙にさせる。

いつかは自分の店を持ちたいと考えていた及川さん。仙台や気仙沼で20年近く修行した。震災時は南三陸にあるホテルの厨房にたっていた。そこで震災に見舞われた。ホテルは高台にあったため津波の被害は免れたが家は津波に流された。

その後、この商店街の立ち上げを知り、自分の夢を実現させるために出店した。
お店の中は仮設店舗とは思えない木の温もりが感じられる空間。
ジャズをBGMに南三陸の海の幸や自慢の創作料理が堪能できる。


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お腹を満たし駐車場へと向かうと復興市の準備が始まっていた。
この復興市は震災から1ヶ月が経過した2011年4月29日に第1回目を開催した。
その当時の町の状況を想像してほしい。日常の生活を送るには程遠い現状で
被災された方々が避難所生活を送っている状況だ。町には深い傷跡だけが残る。


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それでも南三陸に暮らす商店街の皆さんは復興へと進むために商売を再開した。
震災以前から南三陸町の商店街は防災に対する意識が高く、全国各地とネットワークを結んでいた。被害は甚大なものであったが、そんな状況下でも全国各地から民間による支援の手が届いたのには、そんなれっきとした理由があったからなのだ。
南三陸ベイサイドアリーナで開催された第1回目の復興市には
「ぼうさい朝市ネットワーク」の協力により、全国の商店街から各地の物産品など
の商品が届けられた。


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ふと見ると南三陸さんさん商店街の会長、及川 善祐さんが率先して
会場の設営準備をしていた。及川さんはこの町の復興を進めるダイナモの1人。
南三陸町の復興のために全国各地を忙しく飛び回る。
そして、このキャラクター、笑顔に惹かれて全国各地から支援者が集まるのだ。

宮城県南三陸復興市WEB http://fukkouichi-minamisanriku.jp/



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南三陸さんさん商店街を離れ、志津川漁港へと足を伸ばす。
土地のかさ上げ工事も始まっている。

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埋め尽くしていた瓦礫と骨組みだけになった建物は撤去されたが、
痛々しい爪痕が残る道を行く。

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壊れた防波堤をこえると、青く澄んだ晩秋の三陸の海が広がる。
水面は美しく輝き、あの大津波が起こった海と同じだとは信じられなくなる。

美しい海を見る度に、僕は震災後に知り合えた石巻市渡波地区に暮らす
友人の三国くんの言葉を思い出す。ミックニーは津波に流されたが奇跡的に生還した。
ただ、お父さんが津波で帰らぬ人となった。

「そんな事があった海だけど、津波の次の日に海を見ても不思議と恐いという感情はわかなかった。ただ、とても青く春の日差しをあびて綺麗な海だった。」

釣り糸をたらす釣り人たち。この日の海もとても穏やかで美しかった。

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南三陸町防災対策庁舎。

報道などで、ご存じの方が多い建物は何も言わず、何も語らず、そこに骨組みだけを
残して立ち続けている。

この日も全国各地からの大型バスがひっきりなしにとまっていた。

「この写真は軽い気持ちでSNSにはあげられないな。」

ヒロシさんが隣で呟く。

僕も多くは書けない。語れない。

震災以降、モニュメントとしての役割を果たし続けてきた
建物は静かに解体の時を待っているかのようだった。

追記:防災対策庁舎はこの当時は取り壊しが決まっていたが、現在は解体が延期されているhttp://sankei.jp.msn.com/region/news/140201/myg14020102040000-n1.htm


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南三陸町の最後に訪れたのは、2012年1月にオープンした
瓦礫の中にできたカフェ「さんさカフェ。」
このカフェは震災直後の「助け合わなければ生きていけない状況」の中で
生まれた強いコミュニティから誕生したカフェだ。
このカフェのスタッフは旧志津川高校避難所を運営していた被災者の皆さん。

今日はトモちゃん、絵里ちゃん、淳さんが出迎えてくれた。

絵里ちゃんがこだわりのコーヒーを入れてくれる。

淳さんがアイフォンで撮影をはじめる。

トモちゃんがニコニコしながらフライヤーを渡してくれる。

この三人でお店をまわしている時の空気感はとても居心地が良く、つい長居をしてしまう。
トモちゃんは震災直後から南三陸町を訪れ、100回以上の無料ライブを避難所や仮設住宅の集会所で行ってきたアーティスト「桃梨」のマネージメントを11月からはじめた。
今日訪れた皆が音楽繋がりである事をトモちゃんに伝えると、トモちゃんは冗談を交えながら、矢継ぎ早に色々な質問を始める。

「被災して、やりたい事が見つかって、それが桃梨というアーティストのマネージメントだった。やっと見つけた。」

ヒロシさんが帰京する新幹線の時間が迫り、残念ながら楽しい会話はここまで。

またの再会を約束しカフェを後にする。

今度は音楽が鳴る現場で再会しよう。

「さんさカフェ」が生み出す磁力は、全国各地から僕らの世界に近い人たちを数多く呼びよせている。

追記:「さんさカフェ」は皆に惜しまれながら、開店2周年記念日でもある2014年1月29日に初となる桃梨有料ライブを開催して閉店した。スタッフは現在、それぞれの道に向けて動きだしている。桃梨:http://www.momonashi.com/top.html

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車を仙台へと向けて走らせる。
復興市の準備はまだ続いている。

三陸自動車道にたどり着く頃には夜のとばりが静かに降りた。

南三陸町だけではなく、東北の被災地域には全国各地、世界中から
現在も様々な人々が訪れてくれる。

それは震災前には想像もつかない世界だった。

“Until the end of time”

まだ何も終わってはいないし、あの震災が浮き彫りにした課題は
どれもが簡単に解決できる問題ばかりではない。

それでも未来へと向けた動きは被災地域各地から、
それぞれに無数のコミュニティへと広がり、そして繋がり続けている。


TEXT HIROKI SATO a.k.a STILL BLUE
PHOTO HIROSHI WATANABE a.k.a KAITO

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by tinybalance | 2014-03-11 14:46 | PHOTO